占われる男の話
駅前にはいつも占い師がいる。
ぼくが駅へ行く日の夜には大抵いる。いつ来ていついなくなるのか分からないけれど、気付いたころには、駅の階段を下りた先の片隅にぽつんと鎮座している。その人はいつも神妙な顔をしてじっとしている。向かい合うようにして設けられた席に誰かが座っているところは見たことがない。
不気味といえば不気味なのだけど、夜その場所を通るたびにいるその占い師に対し、静かな興味がわいていた。一体何者で、どこから来てどこへ帰っていくのだろう。よく言うミステリアスな存在に惹かれるという感覚は、まさにこんなことを言うのかもしれない。
基本的には占いというものをあまり信用していない。良くも悪くもたかが占いだと思える。天気予報のようなものだとも思っている。予報で明日は雨だと言っていたからといって、なるほどそれなら必ず雨が降るぞと信じ込むわけでもないけれど、傘は忘れず持って出掛ける。信じていないわけでもないから。そんなものだ。参考にはする。
その程度の関心だから、占いというものが何をどの位の料金でやっているのかまったく知らず、つい気になって遠目からじっと眺めてしまっていた。すると「よければいかがですか」なんて声が飛んでくる。通り過ぎながら流し見している程度のつもりだったけれど、不自然だったのだろう、うっかり声を掛けられてしまったのだ。
思わずたじろいでしまった。引き下がるに下がれない状況に立たされたので、これも何かの縁だと思い、ぼくは呼び止める占い師の前まで行き、応じることにした。正直な話、ブログに書くいい話題になるし、いいかなんて思ったというのもあった。
聞けばどうやら10分毎に1000円という価格設定でやっているらしく、想像よりかはずっと良心的な価格だった。あとになって調べてみたんだけれど、こういう類いの占いの中ではかなり安いケースだったみたい。
だったらと席に座り、あれこれ長話する気もなかったので、10分だけ見てもらうことにしたんだけど、当然自分自身についてある程度自ら話す必要もあって、思ったより大したことを聞けなかった。そういうことも考慮した10分制なんだろうな。うまくできてる。
仕事がうまくいったりお金を稼げるようになることに比例して、人生の総合運みたいなものはどんどん下降していくタイプらしく、健康面が犠牲になったり、どんどん孤独になっていくんだそうだ。地獄かよ。成功と幸福が比例しないらしい。おい嘘だろ。ちゃんと幸せになれんのか、これ。
将来のことや周りのことお金のことなどを考えて無茶な要求に答えたり、身の丈に合わない仕事を背負ったりすると身を滅ぼすから、やれる範囲のこと、やりたいと思った仕事をちゃんと選んで生きるべき、だそうだ。
40代に大きな喪失を迎えるとのこと。両親が死ぬのだろうか。だとしたら割と長生きするんだな。恋人になる人とはもう既に出会っているらしく、割と相性も良いのでうまくいくんだそう。しかし人生における総合運が上昇傾向になるのは60代らしい。いや先すぎるだろ。もっと早く幸せになりたい。
いかがだっただろうか。他人の占い結果なんか聞かされてもと思っているだろう。どうせぼくもこんなこと来月にはすっかり忘れてるだろうね。