枕の上で夢に溺れて

極上の寝具で眠りたい

ほんの一握りの本当のこと

 年を重ねれば重ねるだけ、ぼくらは様々なことを知り、学ぶ。

 幼い頃は知らなかったこと。年を取ってようやく知ること。ぼくら人間がどのようにして生まれるのか。そしてぼくらはいずれ、皆が死ぬということも、最初は誰もが知らなかったことだ。

 

 あらゆる物事は、それを認識しているかどうか、たったそれだけで作用の仕方が変わってくる。例えば「バカは風邪をひかない」なんて話も、風邪に対する自覚能力や知識が一般的な感覚よりも浅いが故に、風邪を風邪だと思わずに平気で過ごせてしまう無自覚な人のことを言っている。

 

 この世界は案外、なんでも知っている物知りな人間よりも、この世界のことをなんにも知らないような無知な人間の方が、幸せに暮らしていけるんだろうなと常々思っている。

 

 人間にも、ある一定の容量というものが存在しているとぼくは思っている。ハードディスクやメモリーカードのように。ぼくらが抱えていられる記憶や知識にも、限界というものがちゃんとある。

 抱えきれなくなってしまったものは、各々が知らず知らずのうちに取捨選択をし、定期的に削除したり圧縮したりしている。その過程でひどく歪んでしまったり、都合よく編集されてしまうことも稀にある。昔の大して良い思い出でもない出来事がいやに美しく思える現象も、それの一種なのではないだろうか。

 

 情報過多な日々を生きていると、これ以上はもう抱えきれないような感覚に陥ってひどく気疲れしてしまうことも少なくない。それは単純に、自分自身の取捨選択機能が人よりも劣っているからでもあるのだけど。

 本当はもう捨ててしまいたいようなものも、バックグラウンドで作動中だなんだと言われてどうしてもうまく削除ができないまま、仕方なく放置されていたりすることがある。

 

 知らないことはまだ山ほどある。そのうちのどれぐらいが事実で、どれぐらいが嘘なのか、知る由もないけれど、事実なんて、本当のことなんて、知らないままでいい。

 もしもこの世界のぜんぶが嘘であるならば、この世界に嘘しかなかったとしたら、それほど幸せなことはない。事実でなければいけない必要なんてどこにもない。事実であるなんてそれほど残酷なことはない。逃げ道がなく、どこにも救いがない。

 

 何も知らずに生きてそのまま死ねるのが一番幸せなのだ。世の中には知らない方が幸せなことだってあるのだ。「こんなこと知りたくなかったな」なんて何度思わされたことか。たとえそれが本当のことだとしても、知らないままでいたい。

 

 とはいっても、この世のすべて、何もかもが嘘だったら、嘘しか存在しなかったら、一切合切信じる必要が無くなってしまう。それはあまりにも寂しすぎるから、これだけは疑わずに信じてみようと思えるほんの一握りの事実があれば、それさえあればいい。