読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

枕の上で夢に溺れて

極上の寝具で眠りたい

桜が散った。

 桜が散った。

 もっと北へ行けば、これからが見ごろだというから、日本という国は思っているよりも、南北に広い国なんだなと感じさせられる。そうこうしているうちに、ネモフィラツツジなどの花が綺麗に咲き揃い、見ごろを迎えようとしている。

 

 花なんか見て、何が楽しいんだろう。そんな寂しいことを時々ふと思ってしまう人間だけれど、それでも、綺麗な花を見て、穏やかな気持ちになって、ずっとこうあればいいなんて幻想のようなことに思いを馳せるのも、悪くはないよな、などと思ってみたりするものだ。

 

 ぼくの家には犬がいる。かれこれ10年以上、共にこの世で、それなりに生活を営んできたわけだけど、彼はこの世界のことをぼくらほどよく知らないのである。自宅から半径1km以上先の世界のことなんて、きっと殆ど知らないのだ。どんなものがあって、どんなヤツがいて、どんなことをしているのか。それらをまったく知る由も無いのだ。

 

 そんな彼は、今年に入ってからというもの、すっかり老いて弱ってしまった。後ろ足に怪我をして、その傷口から菌が入ってしまったかして、そう簡単に治らなくなってしまった。日々の散歩もようやくで、それこそ、よたよたと歩くようになった。

 老い衰えていく様を見るのは、なんであれ非常に心苦しい。ぼくの両親も、体の衰えや不調を度々口にするようになり、腰を労りながら歩いたり、容易でなさそうな顔を頻繁にするようになった。

 

 そうしてぼくらは、将来のことや、もっと言えば老後のこと、そんな途方もないこれからのことを漠然と考えて、不安になったり、心配したりするのだ。答えなんて、どんなに考えても出やしないのに。

 それらに対する答えをどうしても出したければ、いつか自分で作らなければいけない。もしかしたら模範回答のようなものが存在するのかもしれないけれど、自分自身がこうだと思ったものを正解だと思って、進んでいくしかない。そうしなければ永遠と、不安に苛まれながら生きていかねばならないのだ。

 そんな漠然としたこれからの対する不安と真摯に向き合いながら生きていくよりもよっぽど楽だから、ぼくらは遠くから飛んでくるかもしれないミサイルに、自分の街に降り注ぐかもしれないミサイルに恐怖してみたりするのだろう。

 

 どうせぼくらは、そんな美しい死に方なんてできやしないのだ。現実はもっと惨めに死んでいくものだ。そんな何かがこの漠然とした混沌から解放してくれるんじゃないか、終わらせてくれるんじゃないか、なんていう幻想は、簡単に指の隙間から砂のように崩れ落ちていくようにできている。

 

 老い弱った犬を連れて、公園までもたもたと歩く。花が散り、葉に変わった桜の木をぼんやりと眺めながら「じきに夏になるな」なんて言ってみたりする。