枕の上で夢に溺れて

極上の寝具で眠りたい

足の指を角にぶつけた

 足の指を、椅子の角にぶつけてしまった。

 

 それは昨夜、突然の出来事だった。単なる前方不注意だ。非は自分自身にある。責任はそれ以外には微塵とも無い。だがこの負傷は「単なる前方不注意」では済ませられない事態になってしまっていた。

 

 この負傷によって寿命をぐんと縮めてしまった俺は、多くを悟った。端的にいえば「死期」だ。それは何年だとか何日なんてそんな悠長なものではなかった。

 

 俺は、じきに死ぬ。間もなく死ぬ。そう思った。

 

 足の先から伝わる強い痛みと共に、今までの出来事が走馬灯のようによぎった。反射的に「やっぱりそうだ。俺はここでおしまいなんだな。」と思った。はっきり言って、悔しいと思った。後悔をした。こんなことならば、ああしておけば良かったなど、様々なことを思った。

 

 しかし、まだ死ぬわけにはいかない。

 死にたくなんかない。

 

 咄嗟に俺は「今晩…まだ夕飯を食ってないんだ…!せめて…夕食ぐらいはのんびり食わせてくれ、逝くのはそれからがいい……」と強く願い、許しを乞いた。ばかばかしいかもしれないが、あんな危機的状況の中で絞り出した譲歩案のわりには、打倒なものだったと思う。

 

 すると、みるみるうちに痛みが引いていったではないか。なんということだろうか。こりゃあ、懇願してみるもんだな…とさえ思った。これで安心して夕飯が食える。俺は胸をなでおろした。

 

 だがここでひとつ、疑問にぶち当たってしまった。もし、いま願ったことが確かに受理されているのであれば、夕飯が食い終わり次第、俺の命は尽きてしまうのではないだろうか。仮にそうだとしたら、今ここで真っ先に夕飯を作り、それを食うのは急ぎすぎているのではないだろうか。

 

 いやはや、気付いてよかった。あぶないところだった。身辺整理とまではいかずとも、俺にだって死ぬ前に済ませておきたいことのひとつやふたつはある。だがしかし、いざこうしてじきに死ぬと分かってしまうと、何をしておけばいいのか案外分からなくなるもので、大したことはできなかった。今さらどう足掻こうが無駄な抵抗だと言われているような気がして、虚しくなった。

 

 結局のところ、特別なことをして、特別な最期を迎えるなんて、そんな美しい死に方は、そう簡単にはできないのだろうな。悪あがきはこれぐらいにして、さっさと夕飯を済ませ、すべてを終わらせてしまおう。いっそ、早いところ無に還りたい。

 

 いや、待てよ。俺は「今晩まだ夕飯を食えていないから夕飯を食ってから逝きたい」と願い、それが受理されたんだよな。だとしたら、今晩夕飯を食わずに夜を明かしてしまえば、回避できるのではないだろうか。

 

 我ながらなんて冴えているんだろう。咄嗟の判断にしては見事だった。素晴らしい譲歩案を提示したものだ。自らの命に関わることになると、ヒトはこうも冴え渡るものなんだろうか。思わず笑みが溢れてしまうほどだった。

 

 とはいっても、手放しで安心できるほど脳天気ではない。というのも「今後の人生における"夕飯"とされる食事をスルーし続けない限りは回避できず、単に延期しているに過ぎない」という条件で受理されている可能性も、否定できないからだ。

 

 してやられた。こんな「言葉のあや」などに囚われる羽目になるとは。

 

 「今晩」という表現がどうように作用しているのか。それが問題だ。その「今晩」が、文字通りのこの瞬間の「本日」にのみ適応されるものなのか、その日そのときにおける「今晩」に適応されるものなのか。もし後者であるのならば、「現在にとっての明日」も「その『明日』が今日である瞬間」においては「今晩」という表現が正当なものになってしまうのだ。

 

 そもそも、こんなややこしいことを考えていること自体が不毛で、「夕飯を食べる」という"Do"のみが条件で、「今晩」などという"When"は、一切関係ないものとされている可能性だってあるのだ。

 

 もう、何もかもが分からない。

  

 こうしているうちに、気がついたら夜が明け朝になり、そのまままた日が暮れ、再び夜がやってきていた。こうして、昨夜における「今晩の夕飯」を何気なくスルーしていた俺は、今のところは体にも何の変化も無いまま過ごすことができていた。

 

 日中の食事に関する制約は一切無いだろうと判断した俺は、日が暮れる前にしっかりと食事を摂っていた。そのおかげもあって空腹には一切困っていなかったが、今後生きていく上で永遠と夕飯を抜き続ける生活を送っていくことには、やはり限界を感じていた。

 

 だから俺は、夕飯を食べた。今後の人生のためにも、それが最善だと思ったからだ。食中も食後も、毒が盛られたものを食らったときのように悶え苦しむなんてことは無かった。今のところ体に大きな変化もない。眠りにつき次第、そのまま静かに息を引き取る仕組みなのかもしれない。そのため「死を回避した」とはまだ言い切れない。

 

 人はいずれ死ぬ。必ず死ぬ。もしも、いま不意に命が尽きたとしても、昨夜の件が原因とは言い切れない。命というのはそれほど不明確なものだ。 しかしこの世に「生」を与えられたものは皆、常に「死」と密接な関係にある。俺は間もなく息絶えてしまうかもしれない。そのためにも、これだけはどうしても言い残しておきたいと思う。

 

 足の指を角にぶつけると、死ぬほど痛い。